池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。
毎年10月11日・12日・13日の三日間に亘って、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われ、殊にお逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わいます。
そして池上本門寺は「日蓮聖人ご入滅の霊場」として700年余り法灯を護り伝えるとともに、「布教の殿堂」として、さまざまな布教活動を展開しています。
生身・孝道示現の御尊像
大堂に格護されている日蓮聖人の御尊像は、日蓮聖人の七回忌にあたる正応元年(1288)に日持上人と日浄上人とが大願主となって造立されました。生前の日蓮聖人を良くご存知だった方々が丹誠を込めて作られたことから、ありし日のお姿を映した「生身の御尊像」と呼ばれています。 また、日蓮聖人は孝養を大変重んじられた方でした。その一端を表すように御生母の髪の毛を御入滅の時まで肌身離さずお持ちになっておられました。池上本門寺の御尊像は、左手に御入滅の時までお読みになっていた「内典の孝経」法華経第六巻を、そして右手には御生母の髪の毛を差し入れた払子(ほっす)をお持ちになって、日蓮聖人が体現された孝養の道を忘れることがなきよう「孝道示現の御尊像」として、静かに私たちを見守っておられるのです。
池上本門寺と花峰
本門寺 花峰は、「日蓮宗大本山 池上本門寺 出入職方」として、先祖代々より「お山(おやま)」にお仕えしている地元業者でございます。「お山(おやま)」とは、この池上地域に所縁のある方々が本門寺のことを畏敬と親しみを込めて呼ぶ際の呼称で、寛永元年(1624年)から今日まで、池上本門寺の山内墓域に墓所を有する檀家様、ならびに御参詣される全ての方々向けに、お墓参りと仏具・土産物のサービスショップ「本門寺 花峰」の店舗運営、生花販売ならびに造園業を主たる業務として代々受け継いで参りました。